べんべんリレーBLOG
第105回 長州ファイブと大阪の縁
出版委員会第3部会部会長 竹田大介
~明治維新の町「萩」~
私は、山口県の北西部で日本海に面した旧大津郡三隅町(現長門市)の出身です。私の実家から観光地として有名な「萩市」がとても近く、子供のころから頻繁に訪れていました。萩市と言えば「明治維新」の中心となった長州藩士の多くを生んだ町として有名です。
幕末から明治維新にかけての長州藩士と言えば、吉田松陰が主宰する松下村塾で学んだ久坂玄瑞、高杉晋作、山県有朋などが有名ですが、私が好きなのは「長州ファイブ(長州五傑)」です。「長州ファイブ」とは、幕末に長州藩から派遣されてヨーロッパに秘密留学した5人の長州藩士のことです。私は、個人のメールアドレスに必ず「choshu5」を入れるなど「長州ファイブ」のファンです。俳優の松田龍平主演で映画にもなっていましたので、ご存じの方も多いと思います。
~長州ファイブとは~
文久3年(1863)5月10日、長州藩は下関海峡を通航する外国船を砲撃し攘夷を決行しました。その一方で、その2日後、5人の若い藩士が横浜港から英国に密航しました。井上聞多・遠藤謹助・山尾庸三・伊藤俊輔・野村弥吉です。長州藩は、攘夷の急先鋒でしたが、いずれ訪れる開国に備えて密航留学生を西洋に送り込んで欧米列強の技術等を学ぶべきだという考えも併せ持っていたのです。当時は、幕府によって海外渡航は厳禁とされており、仮に渡航前に計画が失敗に終わると死罪もあり得るものでしたが、5人は高い志のもと国禁を破って密航し、日本人で初めてロンドン大学に留学しました。そして、欧米の近代文明を学んで日本を列強に発展させようと決意したのです。
~大阪との縁!?~
私は大学進学で大阪に出てきた際、絶対に訪れたい場所がありました。大阪の春の名物造幣局の桜の通り抜けです。それは、桜の通り抜けが「長州ファイブ」の1人である遠藤謹助と深く関係していたからです。
遠藤謹助は、造幣局で貨幣鋳造の近代化を推進するとともに、造幣局長として、「局員だけの観桜ではもったいない。大阪市民の皆さん方と共に楽しもうではないか」と発案し、局内にあった桜の一般公開を始めました。明治16年(1883年)のことです。なお、造幣局の桜は、明治の初めに藤堂藩の蔵屋敷から移植され、品種が多いばかりでなく、他ではみられない珍しい里桜が集められております(造幣局HPより引用)。
私は、高校卒業後、山口の田舎からこの大都会大阪に出てきて、はじめて桜の通り抜けを見たときの感動を今でも忘れられません。残念ながら、コロナ禍のため2年連続で通り抜けは中止となっておりますが、次開催されるときは、初めて見たあのときの新鮮な気持ちや感動、希望に満ちた思いを再び感じるため、久しぶりに桜の通り抜けを見に行きたいと思います。