べんべんリレーBLOG
第112回 バブル世代とスキー
不動産管理委員会委員長 広瀬元太郎
私はバブル世代である。
弁護士になる前、新卒で民間企業に入社したのが平成元年である。日経平均株価の最高値はその年の12月末なので、社会人としておいしい思いをした時期は少ない。ただ、就職活動が楽だったことは間違いない。
バブル期の都市伝説のような話として、内定したらハワイに連れて行ってくれるとか、内定を20個とったとか、おいしいものを飲み食いできたという話はおおむね本当である。残念ながら、私はハワイには連れて行かれていない。一時の浮かれた気分とはいえ、社会人の入り口の時期に、このようにちやほやされたことの弊害は大きく(自分たちが文句をいうのも変であるが)、私も含め、この世代の特徴は、物事を過度に楽観視し、勝手である。
30年の時を経て、すっかりバブルを懐かしむ世代になってしまったが、バブルを懐かしむ対象の一つとして、スキーがある。1987年、日本がバブルに向かって昇り詰めているときに、当時20歳(私も当時20歳)の原田知世主演の「私をスキーに連れてって」という映画が流行した。それと前後して、多くの若者がスキー場に繰り出したのだ。この映画の一部は、You Tubeによく上がっている(適法性は怪しい)。この時期の浮かれた気分が感じ取られるので、暇な人は見てほしい。当時、真っ白のスキーウエアにミラーサングラスという原田知世と同じ格好をした女性がゲレンデには大量にいた。この色のウエアは、吹雪のときは見えなくなるので危険であった。
さて、先日、20数年ぶりに信州の志賀高原にスキーに行った。スキーを取り巻くこの30年の変化には目を見張るものがあった。
とりあえず一つ目として、スキー板の短さである。昔は、身長くらいのスキーを使っていたが、今はカービングスキーという短いものが主流である。滑ってみると、めちゃくちゃ滑りやすい。昔の長いスキーはなんだったの?これを発明するのに、21世紀を待たなければいけなかったの?と疑問である。スキーに詳しい人からすれば、きっと深い訳があるということになるだろうが、私は事情が分からないので、とにかくびっくりである。
次に、コロナの影響もあるとは思うが、信じられないほど人が少ないことである。バブル期、志賀高原のような有名スキー場は、リフト待ちが30分や1時間は普通にあったのに、これが全くない。コロナ対策として、赤の他人を同じゴンドラに乗せないようしているにもかかわらず、である。バブル期において、このようなぜいたくなゴンドラの使い方など、要求するだけでも怒られそうだった。リフトやゴンドラが人を待っているという状態である。志賀高原の週末でこの状態だから、他のスキー場はもっと空いているのであろう。
今考えると、この1時間のリフト待ちの時間が休憩時間だったことがよくわかる。リフト待ちが無いから、ゲレンデ滞在時間の大半を滑走にあてられるため、バブル期に一日で滑っていた量を3、4時間で達成してしまう。おまけに、体力も30年分衰えており、3時間も滑ると足に力が入らないので、すぐに終わって、ビールを飲むということになってしまう。
20数年ぶりのスキーは、自分の体力と日本国の衰えを感じさせる。日本経済がどこまでも昇って行くと錯覚していた1990年代初頭、バブルだからといって、20代の収入は今と変わらなかったが(30年で、20代の給与が変わってないのも大問題だが)、将来への不安は少なかった。だからこそ、手取り給与が20万円くらいにもかかわらず、1回4万円くらいかかるレジャーでゲレンデが大混雑したのだろう。
ただ、あのころよりも、スキー自体を楽しんだ気がする。一日中極限まで滑らなくても、3~4時間で満足できる。スキー場も空いている。異性にもてようというような煩悩もなくスキーに没頭できる。山や雪の美しさは当時と変わらない。とても、すばらしい一日だった。このような考えに至ることが、自身が衰えてきているということなのかもしれないが。