べんべんリレーBLOG
第49回 なぜ走るのか
保険委員会生保部会委員 秋山哲郎
「そこに道があるから」
とかっこよく言いたいところだが、去年くらいから急に走り出した松竹梅でいうところの「梅の下ランナー」の私にはそんな哲学的なことなど言えるはずもなく、ただその命題についてGWまっさかり子供連れで賑わう公園を一人グルグル走りながら考えている。
走り始めたきっかけはいろいろある。「運動不足解消のため」、「単にブームに乗ってみたかったから」、「かっこいいランニングシューズを共済保険の健康補助金を元手に買ってしまったから」・・
しかし、きっかけはいろいろあってもこうやって定期的に「走り続ける」ことには別な理由があるのではないか、そうでないと休みの日の貴重な時間を割いてまで走ることなど元来グータラな私にはできないだろう。
走っているともちろん苦しくなる。実際今も苦しい。もうこれ以上走れないと思う。その前には走りながら何でこんなことしてるんだと思い始める。休みの日なんだから家でゴロゴロテレビでもよかったんでないの。なんか膝も痛くなってきたような気もしないでもないし。もうだめだ、あそこの角まで走ったら今日はもうやめよう・・そうやって、走るのをやめる理由を一通り考える。
でもそこでハっと思い直す。いやいやそこの角でやめるのは簡単だ。でもやめたら自分の限界を決めてそこであきらめるという「いつものまま」だろう。もうだめだと思ったところからもう一歩進んだらどうなる?だんだんその瞬間のために走っているような気がしてきた。そこの角まで行ってもう一周だけ走ろう。そうすれば新記録だ。自分の限界、少なくともそう勝手に思いこんでいるところを少しだけ超えること。その時に一皮剥けた感じ、木の幹が少しだけ太くなった感じがするはず。そこを超えたらそのあとはもうぶっ倒れればいい。そうかその瞬間のために今走ってるのか・・
私のいる業界では若干ブラックな話として、「パンツのゴム理論」というのがある。パンツのゴムが伸びきってこれ以上伸びないもう無理!と思ったところから、さらに引っ張ると「意外ともう少し伸びる」という理論だ(長いので以下「P理論」という)。
P理論が自分の限界(と思っているところ)を超えるための考え方に思えてきた。限界を無意識のうちに勝手に決めてそれ以上はどうせ無理だからといってあきらめる。仕事でもプライベートでもいつの間にかそうしていたかもしれない。自分が限界と思いこんでいるだけで実は引っ張れば意外とまだ伸びるのでは?苦しみながら走る中そんなふうに思えてきた。
みなさんも是非「P理論」を実践してみてください。ただし絶対に「無茶」は禁物です。パンツのゴム、切れます。