べんべんリレーBLOG
第65回 母親
保険委員会生保部会委員 手塚大輔
私は今年で46歳になるのですが、高校1年生の時から両親と一緒に生活したことがありません。両親は健在なのですが、高校の時から家を出て下宿し、高校卒業後、生まれ故郷の静岡を離れて大阪の大学に進学し、そのまま大阪に根を張り、両親は私の大学卒業と同時に愛媛県の松山に転居し、現在も松山在住という状況だからです。特に大阪に出てきてからは、両親とは年に1~2回会うか会わないかという状況が30年近く続いていることになります。
そんなことから、私は常々、大人になってから親と一緒に生活するというのはどんな感じなのだろうと思い、大人になってからも親と一緒に生活している人を羨ましく思ったりもしていたのですが、今年4月、私にもそんな機会が突然訪れました。
切っ掛けは妻の入院でした。4月の初め、2人目を妊娠中の妻が突然、切迫流産で入院したのです。聞けば最低1ヶ月は掛かるだろうとのこと。1日や2日の入院ならともかく、弁護士の仕事をしながら自分1人で1ヶ月もの間、8歳の長男の食事等の世話をするのは無理でした。近所にいる妻の母も多忙な仕事をしており頼むことは出来ません。そこで、私の母の出番となったのです。幸い、私の父は一人で何でもできる人なので、母は大阪行きを快諾してくれました。
そのようにして始まった約30年ぶりの母との生活。どうなることかと多少の不安もあったのですが、母は、所帯を持ち一家の主となった私に多少の気を使いながらも、毎日、朝晩の食事を作り、家事をこなし、長男の世話をしてくれました。時には何か食べたいものは無いかと私に尋ね、私の帰りが遅い日が続けば無理をして身体を壊さないようにと心配し、身体に良いから食べなさいと言って毎日果物を出してくれました。私は、そんな母の気遣いに多少の気恥しさと面倒くささを感じながらも、母が居てくれる安心感の下で日々を過ごしました。
そして今日、母はその役目を終えて松山に帰って行きました。
結局のところ、私が中年になった今でも、母親はやっぱり母親でした。そして、私は母にとって相変わらず息子なんだなと。そんな当たり前のことと母親の有難さを再認識できたこの2ヶ月でした。でも、母はもう72歳。そんな時間が今後どれだけあるのだろうか。 そう考えると、母と過ごしたこの2ヵ月が私にとってとても貴重な時間に思えてなりません。
妻の入院が切っ掛けでしたが、そんなかけがえのない時間をもてたこと、そして母親が相変わらず母親でいてくれたことに、感謝したいと思います。