べんべんリレーBLOG
第82回 三度目の殺人
総務委員会委員 北口正幸
先日、家内に連れられて映画「三度目の殺人」を観てきました。この映画については、ヴェネツィア国際映画祭での公式上映での是枝監督や主演の福山雅治さん達の様子を報道で見かけた方もおられるのではないでしょうか。
映画は、役所広司さん演ずる強盗殺人の被告人三隅(みすみ)と福山さん演ずる弁護士重盛(しげもり)との間のやり取りを軸に展開していきます。三隅は30年前にも強盗殺人事件を犯しており、今回の裁判で死刑となる可能性が十分あるにもかかわらず、重盛や他の弁護士に話す事件についての供述がコロコロ変わり、どうも本気で重盛らに協力しようとする気があるのか、弁護人にとってはやりにくいことこの上ない被告人なのです。
一方、重盛は、真実はどうでもよく、裁判には勝ちさえすればよいというタイプの弁護士なので、三隅の供述の変遷にも、それが裁判戦術上有利と思えば乗っかっていくのですが、そのうち、広瀬すずさん演じる被害者の娘と三隅をめぐる、ある「真実」の糸口に行き当たり、物語は大きな転機を迎えていきます。
これ以上は、ネタバレになりますので、これから映画を観ようと思っている方のために記しませんが、感想というか気になったことを書いてみます。
一つ目は、弁護士や訴訟について結構リアルなディテールが描かれているということ。きっと原案・脚本も務められた是枝監督が良くお調べになったのでしょう。満島真之介演ずる若手弁護士が、69期で重盛のノキ弁をしていること、重盛の父の元裁判官に「昔と違って今はたいへんだねえ」などと言われているところなどは、思わず苦笑してしまいました。刑事裁判の進行なども、割と忠実に再現されています。もちろん、映画ですから、裁判員裁判とはいえ国選で3人も弁護人がついているところ、関東から北海道まで自費で三隅の娘を情状証人とすべく探しに行くところなど、ドラマの展開上必要なところでは大きな嘘をつかざるを得ないのですが、弁護士なら細かい点をチェックしながら見ていくのも面白いかもしれません。
もう一つは、この映画のテーマにかかわることです。是枝監督は、「『人は人を裁けるのか』という普遍的な問い」に向き合う覚悟でこの映画を作った、とインタビューで語っています。この点については、われわれ法曹関係者と世間一般の方との間の考え方のギャップを埋めるのは非常に難しいと感じました。私が修習生の頃、刑裁の配属部の部長は、人が人を裁くのは難しいと弱気になった裁判員に対して、「人が人を裁くのではなく、法と証拠が裁くのです」と言い、私もハッとさせられたことを覚えています。つまりは、刑事裁判という制度の下では、提出された限りの証拠や事実を法に当てはめて判断するしかない。神ならぬ身であれば、裁判とは、真実を知りえないかもしれないということを前提として成り立っている制度である。だから、きちんと法と証拠に基づいて判断すれば、その結果に個人的な責任を感じる必要はないと。
ところが、おそらく一般の方にとっては、裁判はあくまで真実を追求すべきで、真実を究明できない、あるいは真実に忠実な判決を出せないような裁判制度には欠陥があり、それに関わる司法関係者は怠慢だと映ってしまうのだと感じます。この映画でも、重盛が最後に真実に近づきながら、結局はそれを(おそらく)明かせないまま終わってしまい、その過程では法曹三者のご都合主義が揶揄されるかのようなシーンも出てきます。
そのようなわけで、人間ドラマとしては、役所広司さんをはじめとした演技も素晴らしく、非常に見ごたえのある映画なのですが、弁護士としてはかなりやるせない思いを抱いてしまいました。分かってもらえないかもしれないけれど、神様じゃないんだから真実にたどり着けない場合があっても仕方ないじゃない。弁護人は、被告人が信用できなくても、彼/彼女がそう主張したいと言えば、それに沿わざるを得ない場合もあるんだよ…、と。まあ、そのようなことを含めて、「人が人を裁く」ということなのかも知れませんが。
最後に、私がこの映画で最も感銘を受けたことを。
広瀬すず、めっちゃ可愛いです。